コンセプト
■ 建築家住宅を「保存」ではなく「住み継ぐ」という選択
日本には数多くの優れた建築家住宅が存在します。しかし、それらの多くは相続や老朽化、維持管理の難しさなどを理由に解体・建替えが選択され、設計思想とともに失われていくケースも少なくありません。一方で、人口減少や空き家の増加が進む現在、既存住宅ストックをどのように未来へ引き継ぐかは、社会全体の課題となっています。
本プロジェクトでは、「建築家住宅だから保存する」という考え方ではなく、「これからも暮らし続けられる住宅として更新する」という視点を重視しています。建築家が空間に込めた思想を尊重しながら、現代の住まい手が安心して暮らせる性能や機能を備えた住宅へ再生すること。それこそが、建築家住宅を住み継ぐということだと考えて、本プロジェクトはスタートしました。
■ 宮脇檀が目指したのは、一軒の住宅ではなく「住街区」
宮脇檀は、日本を代表する住宅建築家の一人として知られています。住宅作品だけでなく住宅論や都市論でも大きな影響を与え、生涯を通して「住まいとは何か」を問い続けました。
その晩年に取り組んだ代表的な住宅地計画が、「高幡鹿島台ガーデン」です。1985年に計画されたこの住宅地では、住宅を個別に設計するだけではなく、
・歩行者を優先したボンエルフ道路(生活道路)
・街区内を歩いて回遊できるフットパス(歩行者専用の小径)
・住民が自然と交流できるポケット広場(住宅地内の小さな広場)
・街並み全体の調和を図る建築コード(建物の配置やデザインに関する共通ルール)
などを一体的に計画しました。
住宅は建物単体ではなく、街並みや近隣との関係の中で初めて豊かな住環境になるという宮脇の思想が、この住宅地全体に息づいています。今回再生した住宅も、その思想の中で設計された一棟です。
■ 一軒の中古住宅との出会い
このプロジェクトは、一組の家族の住まい探しから始まりました。
日野市周辺で新築注文住宅も含めて約1年半にわたり住まいを探していた30代の家族が出会ったのは、とある住宅街の一番奥に建つ一軒の中古住宅でした。敷地の目の前には大きな公園が広がり、建物にはその緑へ向かって大きな開口部が設けられています。室内にいながら周囲の自然を取り込むような、静かで伸びやかな空間が広がっていました。
物件調査を進める中で、この住宅が宮脇檀による設計であることが判明します。築年数を重ねていたため、設備の老朽化や経年劣化は見られましたが、空間構成や細部の納まりには、今なお色あせない魅力が残されていました。
一方で、ホームインスペクションでは、建物基礎の沈下も確認されました。一般的には、こうした状況では購入を断念するケースも少なくありません。しかし本プロジェクトでは、建物の状態を丁寧に調査し、補修方法や必要な工事費、想定されるリスクを購入前に整理しました。studio9X、創造系不動産、住まい手が情報を共有しながら検討を重ねた結果、「安心して住み継ぐ」という選択へたどり着くことができました。
■ 建築家住宅だからこそ向き合うべき「不安」
建築家住宅には、「デザインは魅力的だが、住みこなすのが難しいのではないか」「維持管理に費用がかかるのではないか」といったイメージを持つ人も少なくありません。今回の住宅でも、ホームインスペクションにより建物の不同沈下が確認されたほか、築約30年という年月を経た設備や仕上げについても、将来的な更新を見据える必要がありました。
しかし、建物の状態を丁寧に調査し、必要な補修方法や工事範囲、将来的な維持管理までを整理したことで、「どこにリスクがあり、どこは安心できるのか」を住まい手が理解した上で住宅を引き継ぐことができました。建築家住宅を住み継ぐためには、建築の魅力だけでなく、建物の状態を正しく理解し、適切な判断を積み重ねることが重要です。本プロジェクトでは、そのプロセスそのものを大切にしました。
■ studio9Xが考えた「残す」と「更新する」のバランス
本プロジェクトでは、「どこを残し、どこを更新するか」を一つひとつ丁寧に検討しながら設計を進めました。建築家住宅の魅力は、空間の構成や光の取り込み方、素材の使い方など、建物全体に宿る設計思想にあります。一方で、設備や水回りなどは、現在の暮らしに合わせた更新が求められます。
studio9Xは、住宅全体を一新するのではなく、建物が本来持っている価値を読み解きながら、現代の暮らしに必要な機能だけを加えていくという考え方で改修を行いました。浴室やキッチンなどの水回りは刷新し、耐久性やメンテナンス性を向上させる一方で、建具や造作家具、金物など、建築当初の職人仕事が感じられる部分は可能な限り残し、再利用しています。
また、以前の住まい手は美術関係者で、落ち着いた色調の空間を好まれていました。一方、新たな住まい手は幼い子どもを育てる30代の家族です。studio9Xは、以前の空間が持つ静かな魅力を尊重しながらも、ラワン材の色味や内装の明るさを調整することで、子育て世帯が日々の暮らしを心地よく過ごせる住まいへと更新しました。
工事中にはシロアリ被害も確認されましたが、あらかじめ改修範囲を慎重に検討していたことで、計画の中で適切に対応することができました。こうした一つひとつの判断は、建築を保存するためではなく、「これから先も暮らし続けられる住宅」にするための選択でした。
■ 「住み継ぐ」という新たな選択肢
建築家住宅は、特別な人だけのものではありません。建物の状態を正しく把握し、その価値を理解しながら必要な更新を行うことで、新たな住まい手が安心して暮らし続けることができます。本プロジェクトは、一棟の住宅を再生した事例であると同時に、建築家住宅や既存住宅ストックを未来へ引き継ぐ新たなモデルケースでもあります。
人口減少や空き家の増加が進むこれからの時代において、「建て替える」だけではない選択肢を社会に示すことが、本プロジェクトのもう一つの目的です。この住宅が再び誰かの暮らしの舞台となり、時間とともに新たな価値を重ねていくことを目指しています。
■ studio9X コメント
「この住宅を見つけた時、まずそのどっしりとした構えと、派手さは無くとも落ち着く空間に感銘を受けました。生涯を通して住宅を作り続けた宮脇氏が晩年にたどり着いた、住まい手のために極限にまで洗練されたこの住宅が持つ独特な質の高さは、現代ではなかなか再現のできるものではないと感じました。良いものはきちんと残すべきという純粋な想いを実現すべく、壊さず長く使い続ける方法を模索しました。」
(studio9Xさまより)